「国語の勉強の仕方が分からない」「国語は勉強しても成績が伸びない」といった悩みを良く聞きます。確かに、一朝一夕に成績を上げるのは難しいですし、それなら他の教科を勉強した方がよほどに効率的だったりもします。
しかし、言語は全ての学力の基本。これをおろそかにしていると他の教科を伸ばすのも難しいです。まずは国語の勉強がやりづらい、その理由から考えていきましょう。
②国語を教える教員の認識
③国語を勉強する学生の認識
そもそも「国語」の中に、現代文と古典(古文・漢文)が含まれているよね。古典なんて、もはや外国語に近い勉強の仕方が必要になってる。
その上、「現代文」の中でも教える内容がいろいろとごちゃまぜになっているんだよ。
もちろん、評論・小説・随筆・韻文というジャンルの区別はあるんだけれど、それよりも伸ばそうとしている能力の違いが大事かな。つまり、論理的思考力と感受性や情緒、いわば「理」と「情」の両面からアプローチしなければならないんだよね。
大抵、前者に評論が、後者に小説や韻文が数えられるんだけど、そんなにきれいに分けられるものではないね。情緒面が育ってないと読めない評論や、論理性がなければ読み解けない詩だってたくさんあるから。昨今の入試制度改革で、実用文とかグラフの読み方とかも国語の中で教えなければならなくなったけど、それは「論理的思考力の範疇でしょ」と言われているのだと理解しているよ。
今まで出会った国語の先生って、みんなバラバラだったと思わないかい?①に見たように国語の教える内容が色々あるから、先生達の考え方も千差万別なんだよね。思考の仕方にこだわる私みたいな先生もいれば、社会みたいな授業をする先生もいるし、ただただ文学の面白さを教えようという先生もいる。
実は、他の教科と比べても、現代文の教授法ってあまり確立されていないんだよね。つまり、先生達も教え方を教わってない、ということ。だから、自分のポリシーとかパーソナリティに任せて、結構それぞれが勝手に教えているんだよ。なんなら、教科書の文章をそのまま丁寧にかみ砕くだけでも授業は成立しちゃうんだ。「教材を教えるのではなく、教材で教える」というのが大事だとは言うんだけど、じゃあその教材で何を教えるのか、というと先生達それぞれが必死でその文章を読み込んで見つけてこなければならない。それって、経験の浅いうちはものすごく大変なことなんだよね。
それに加えて、特に評論なんかは、現代という最近の文章を扱っているよね。世の中では常に新しい文章や考え方が更新されていくから、追いかけるのが本当に大変なんだ。特に、東日本大震災以降は、新型コロナウィルスやウクライナといった世界を巻き込んだ大事件が続いていて、ちょっと前の文章が、すぐに時代遅れになってしまっていく。大変だからこそ、大事な勉強だと思うけどね。
①②のような状況があるもんだから、生徒達もどう勉強したら良いのか分かってないんだよね。「何となく苦手」とか「本をたくさん読んでいる人だけが良い点を取れそう」とか、挙げ句の果てには「勉強しても仕方ない」なんて言い出す人もいる始末。まずはその認識を変えなければならないね。半信半疑の状態でいくら演習を積んだところで、効果はなかなか上がらないよ。
現代文は、きちんと勉強すればしっかり良い点数が取れるようになります。
このサイトではその勉強の方法や考え方を綴っていくつもりだよ。私の授業は、「あまり国語が得意ではない人たちが、入試である程度以上は得点できるようになる」ことを目指しているんだ。その分、かなり理屈っぽいだろうから、その点は覚悟しておいてね。
さて、今回のお話をおさらいしておこう。ねびるくん!!
欲張るのは悪いことじゃないんだけれど、効果が出ないんじゃ意味が無いからね。
「分かる」の語源は「分ける」なんだ。正確に「分け」ていくのは大事なことだよ。
国語、とりわけ現代文の学習がなぜ困難なのかを前回お話ししました。今回は、その理由を把握した上で、どのように学習を進めていけばよいのかを考えていきます。 ねびる 現代文に詰め込みすぎてフワフワしてるのは分か[…]
ー以下広告。面白いので読んでみてくださいー
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